日本の法律には、依頼者と弁護士のやり取りを広く守る秘匿特権の制度がありません。守られているのは、弁護士が職務上知り得た秘密と、弁護士が預かって保管している物です。生成AIのサービスに入力した内容は、そのどちらにも当てはまりにくいものです。後から守れるかどうかが不確かな以上、判断は入力する前に済ませておく必要があります。
日本の法律が守っているもの
出発点は弁護士法23条です。弁護士は、職務上知り得た秘密を保持する権利を持ち、同時に義務を負います。弁護士職務基本規程23条は、依頼者について職務上知り得た秘密を、正当な理由なく他に漏らしたり利用したりすることを禁じています。
手続の法律も、同じく弁護士の側に定めを置いています。刑事訴訟法105条により、弁護士は業務上の委託を受けて保管・所持する物で他人の秘密に関するものについて、押収を拒めます。証言は、民事では民事訴訟法197条1項2号、刑事では刑事訴訟法149条で拒めます。民事訴訟法220条4号は文書の所持者に広く提出義務を課していますが、そのハで、197条1項2号の事実で黙秘の義務が免除されていないものが書かれた文書を除いています。
いずれの定めも、中心にあるのは弁護士などの職にある者の秘密です。依頼者が弁護士と交わしたやり取りそのものに、依頼者の権利として保護を与える制度ではありません。
「秘匿特権」と呼ばれる公取委の判別手続
例外が、独占禁止法の分野にあります。2020年12月25日に施行された改正独占禁止法に合わせて、公正取引委員会の審査に関する規則に判別手続が設けられました。事業者と弁護士の間で秘密に行われた通信のうち、法的意見に関するものを記録した物件は、一定の条件を満たせば審査官が中身を見ないまま還付されます。
ただし対象は、課徴金減免制度の対象となる違反被疑事件の行政調査に限られます。物件には特定通信を記録したものだという表示が必要で、ほかの物件と区別して保管されていることも条件です。日弁連は2026年度の会務執行方針で、民事訴訟についても「依頼者・弁護士間の通信秘密保護制度」の実現を求めています。一般的な制度は、まだないということです。
海外では、米国の連邦地裁が2026年2月、刑事事件の被告人が弁護人の指示を受けずに個人向けのClaudeと交わしたやり取りに秘匿特権を認めなかった例(Heppner事件)があります。ただ、前提となる制度が日本とは異なるので、そのまま当てはめることはできません。
生成AIとのやり取りは、どの制度にも収まりにくい
依頼者や企業の法務部の担当者が、自分の判断で弁護士の意見書をチャットAIに貼り付けたとします。その履歴は、依頼者のアカウントやAIの提供事業者の側に残ります。弁護士が委託を受けて保管している物ではないので、刑事訴訟法105条の文言には当たらないと読めます。この点を判断した日本の裁判例は、本稿の執筆時点で確認できていません。
判別手続も、表示を付けて区別して保管された物件を前提にしています。外部のAIサービスに残ったやり取りを、その形で管理するのは簡単ではありません。後から守る手段が不確かな以上、確実に手当てできるのは入力の時点です。
入力の時点で問われる守秘義務
弁護士自身がAIを使う場合、問題になるのは弁護士職務基本規程23条の「他に漏らし」に当たるかどうかです。入力した内容を提供事業者が学習に使えるのか、どこにどれだけ保存し、誰が読めるのかによって、答えは変わります。
東京弁護士会の「弁護士業務における生成AIサービスの適正利用ガイドライン」は、2025年3月27日に施行された推奨事項です。会報LIBRAの紹介によると、秘匿性の高い情報を入力する場合は、学習に使われないことなどを利用規約で確かめるよう勧めています。日弁連AI戦略ワーキンググループの「注意事項」は会員限りの資料で、本稿では中身を確認していません。公表資料を2026年10月に確認した範囲では、入力がこれに当たるかを正面から判断したものは見つかりませんでした。各事務所が、利用するサービスの規約と設定を確かめて判断することになります。
個人情報については、個人情報保護委員会が2023年6月2日に「生成AIサービスの利用に関する注意喚起等」を公表しています。個人情報を含むプロンプトを入力するときは、利用目的の範囲内かを確かめるよう求めています。本人の同意なく入力する場合は、提供事業者が「当該個人データを機械学習に利用しないこと等を十分に確認すること」としています。依頼者の個人情報を扱う法律事務所にも、そのまま当てはまる内容です。
職員への指導も欠かせません。規程19条は、事務職員などが秘密を漏らさないよう指導・監督することを弁護士に求めています。所内のルールの作り方は、法律事務所のAI利用ルールで扱っています。
依頼者と法務部に伝えておくこと
依頼者の側の入力は、弁護士が管理できません。委任契約書や最初の打ち合わせで、意見書や打ち合わせのメモを個人向けのAIサービスに貼り付けないよう、書面で伝えておきます。企業の法務部が外部の法律事務所の意見書を要約させる場面は、特に起こりがちです。カルテルが疑われる案件では、判別手続の表示と保管の条件も合わせて説明しておくと、社内の扱いがそろいます。
そもそも送る情報を減らす
promptShieldは、文書をAIサービスに渡す前に、氏名、住所、口座番号などを[P0ABCD]のような形式のコードに置き換えます。置き換えはお使いのパソコンの中で行われ、文書がパソコンの外に出ることはありません。同じフォルダーの中では同じ氏名に同じコードが付くので、AIは誰が誰かを区別して読めます。AIの回答をデコードすると、元の値がパソコンの中で戻ります。仕組みは元に戻せる匿名化の仕組みで説明しています。
コードに置き換えても、やり取りが秘匿特権の対象になるわけではありませんし、文書が秘密でなくなるわけでもありません。規程23条が守るのは、依頼者について職務上知り得た秘密の全体です。氏名を消しても、方針や取引条件から依頼者が分かることはあります。
コードと元の値の対応を記録するコード台帳も、お使いのパソコンにある1つのファイルで、事務所のほかの記録と同じ扱いを受けます。コード化したからといって、押収や提出の対象から外れるわけではありません。
よくある質問
生成AIに依頼者の情報を入力すると、弁護士の守秘義務に反しますか?
弁護士職務基本規程23条は、正当な理由なく依頼者の秘密を他に漏らすことを禁じています。入力が「漏らし」に当たるかは、入力した内容を提供事業者が学習に使うか、どこに保存し誰が読めるかで変わります。東京弁護士会のガイドラインは推奨事項で、日弁連AI戦略ワーキンググループの注意事項は会員限りの資料です。公表資料でこの点を正面から判断したものは、2026年10月時点で確認できませんでした。利用するサービスの規約と設定を事務所で確かめ、送る情報を必要な範囲に絞るのが確実です。
日本にも秘匿特権はありますか?
一般的な制度はありません。秘匿特権と呼ばれることがある公正取引委員会の判別手続は、2020年12月25日に始まったもので、課徴金減免制度の対象となる違反被疑事件の行政調査に限られます。日弁連は、民事訴訟について「依頼者・弁護士間の通信秘密保護制度」の実現を求めています。
依頼者が自分でAIに入力した記録は、押収や提出を拒めますか?
刑事訴訟法105条で押収を拒めるのは、弁護士が業務上の委託を受けて保管・所持する物です。依頼者が自分のアカウントに残した履歴は、条文の文言には当たらないと読めます。この点を判断した日本の裁判例は、本稿の執筆時点で確認できていません。